『About
Us』の変わりに・24gakiインタビュー
『ガッキーは不思議ちゃん・2』
(2010年03月15日号)
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弾丸
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東京へは何時出てくるの?。
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西垣
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大学卒業してもしばらくは京都を拠点に、自分たちで音楽イベントやったり、バンドのマネージャーもどきもやる。というかそんなかんじだった。ある意味、大学生活の延長。今で言うニートかもしれないけどね。
で、生意気だったからね。出る釘は打たれるというか。「俺に挨拶がない」的な人も出てきたりするわけ。それだけじゃないんだけど、まあ、関西にいると「これ以上、上には行けないな」と思ったというか、エンターテイメントの世界ってやはり東京が中心だったからね。
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弾丸
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就職とか、漫画家になるとかの別の選択はなかったの?。
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西垣
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組織の中で収まるのがいやだったし、漫画家というか、平面の創作に限界を感じていた。それに僕が描く絵柄はストーリーものじゃなかったからね。もし、そういったキャラが描けていたら少年漫画家を目指したかも知れない。
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弾丸
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で、東京の音楽プロダクションに入るんだ。
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西垣
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最初から音楽プロダクションを目指したわけじゃなくてね。東京であがいてみようと。そんな気持ちかな。
で、東京へ出て来てバイト生活をしている中で、大学時代に知り合っていた音楽プロダクションの人から、「プラプラしているんだったら手伝えば・・・」的な流れで、横滑りで潜り込んだかんじ。
当時の業界って就職試験なんてないからね。
その音楽プロダクションがニューミュージック界では大手だったYUI音楽工房だったのね。当時は吉田拓郎さんは休止状態だったけど、南こうせつさんとか、長渕剛さんとか、ブレイク前のボーイとかの宣伝とかファンクラブ対応とかに関わっていた。
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弾丸
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それから大瀧詠一さんのナイアガラ・チームに出向するんでしたっけ?。
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西垣
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自分をYUIに入れてくれたプロデューサーが「今度、CBSソニー(当時)の新人を手がけるから、お前出向しろ」ていうかんじで行かされる。
そのCBSソニーの部署が太田裕美とか『ロングバケーション』の担当Dだった白川隆三さんの部署だったのよ。
白川さんて作詞家の松本隆さんを歌謡界にひっぱって来た張本人だったし、大滝さんをブレイクさせた人だったわけ。
その部署自体も周りはレベルの高い人ばかりだったから、そこでずいぶん学んだ。
当時出会った人がよかったと思う。その頃の経験はいい財産だもの。
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弾丸
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いつから音楽プロデューサーに?。
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西垣
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スタッフとして宣伝とか歌手の戦略を組み立てることは面白かったんだけど、でもね、マネージャーになるのはいやだったのね。最初からプロデューサー思考だった。
音楽プロダクションて、マネージャーになって、プロデューサーになっていく。というのが道順だからさ、その最初のとっかかりのマネージャーがいやだったからね。それに、自分がクリエーター側になりたいという思いが強くなってきたから、3年位で事務所を辞めて、フリーというか何でも屋になるわけ。
東京の土地柄の良さというか。活きていける環境があったからね。
テレビ、ラジオの番組の構成やら、音楽評論で文筆活動したりとか・・・。なんでもした。
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弾丸
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漫画は描かなかったけど。
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西垣
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そう(笑い)。
で、そうこうあがいている中で、林海象監督の映画『ZIPANG(1990年公開)』の映画音楽の制作現場をプロデュースしてくれないか、という話になって、映画の世界に入っていくわけ。その時の肩書きが音楽プロデューサー。
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弾丸
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林監督とは浅からぬ縁ですよね。
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西垣
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ある意味そうですね。
CBSソニーに出向している時期に、僕とCBSソニーチームで林監督のデビュー作『夢みるように眠らせて』を観て、担当する新人歌手のPV制作をお願いした。三部作でしたね。
後に、CBSソニーチームが解散して関係者が映画畑に移動していくんですが、林監督の『二十世紀少年読本』の製作チームの母体になってますし、当時の事務所の社長がフォーライフレコードの社長も兼務されていたんですが、映画濱マイク・シリーズの製作母体ですからね。
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弾丸
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映画の音楽プロデューサーはいつまで?。
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西垣
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辞めてはいませんよ(笑い)。
もっとやりたいんだけど、映画音楽ってビジネス的には成り辛いんだ。
林監督作品には映画濱マイク・シリーズの第2作まで関わらさせて頂いた。当時はめいなCo.(行定監督の『GO』で日本アカデミー賞を受賞)チームと組まさせて頂いて、いろんな現場を経験させて頂いた。その経験は活きていますね。
映画音楽プロデューサーとしては、2004年公開の加門幾生監督作品『eiko』が最近作になるかな。
映画音楽を制作するに当たって、社団法人音楽制作者連盟が主催した著作権ビジネスコースで音楽著作権の管理方法もちゃんと学んだし。映画とか舞台もそうだけど、レコードとは違う著作権の処理が必要になるからね。
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弾丸
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近況ですが、どう?。
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西垣
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新しいところでは、本を創りました。
アーカイブものです。シンコーミュージックさんのヤングギター・クロニクルシリーズの『吉田拓郎篇』『かくや姫篇』。構成・取材・写真・装丁・・・。といろいろやりました。買って下さい(笑い)。
自称コンテンツ・クリエーターですから、まだ公表できないこともあると(笑い)
後、つい先日まで介護人でしたからね。介護については詳しいよ。
それに体重の増減が激しい。太る方に(笑い)。「痩せなさい」とみんなに言われている。弾丸の秋葉さんがやせたじゃない。いや〜まいったね。
そうそう、これ重要。婚活はしたいよね。でもね、それより経済活をしないと。
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弾丸
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リーマン不況?
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西垣
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もろ影響を受けてますね。知り合いの代理店がバタバタといっちゃいました。非情に厳しい。
私、いい仕事しますよ。
それと、家事一般もとりあえず出来ます。
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弾丸
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誰に言ってるの(笑い)。
目指せ床屋の亭主?。
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西垣
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気持ちはジョン・レノンの「主夫宣言」(笑い)。
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弾丸
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で、その怪しいコンテンツ・クリエーターが弾丸を復活ということですね。
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西垣
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弾丸の話しに戻りましたね(笑い)。
弾丸は益々怪しいさを増幅させていくかんじになればいいかな。
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弾丸
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復活の話はずいぶん前からありましたよね。
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西垣
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そうだね。君とはいろいろ相談していたからね。
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弾丸
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4年くらい前から、「やるよ〜!」とか言ってましたね。
タイミングですか?
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西垣
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こんなに長く休止するとは思っていなかったからね。2年くらいで復活。と思っていたからね。
各自が忙しくなったり生活状況も変わったりね。自分が介護鬱的なこともあったし。実際につめていくと、なかなか実現できなかった。
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弾丸
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で、2010年6月ですね。
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西垣
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ライブはね。
2010年6月が10周年ということもあったから、きりがよさそうじゃない。復活するには。
後、動かないと何も始まらない。と。
昨年の秋頃から、みんなに「やるよ〜」と声をかけ始めた。
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弾丸
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今度は2ndシーズンの展開を聞きましょうか?。
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